行動ファイナンスと、予定調和性

相場が、「ランダムウォーク」(株価の値動きについての「予測の不可能性」を説明する理論)なのか、神の「予定調和」なのかは知る由もありませんが、リスクと意思決定方法について、「運は数学にまかせなさい」(確率・統計に学ぶ処世術)ハヤカワ文庫 から、参考になる内容をとりあげてみます。

 

「ポアソン・クランビング」

「ポアソン分布 (Poisson distribution)」とは、数学者シメオン ・ドニ・ポアソンが発表した、「ランダムに事象が起きる」確率論ですが、全くの偶然から、その中にパターンや因果関係を求めてしまう。確率論者はこの現象を、「ポアソン・クランビング」と呼びます。
数学者、確率論者から言わせると、「偶然のめぐり合わせ」や、「運命的な」、「ラッキーな星の元に」、というような幻想は、全て否定されることになります。

 

「人生は「大数の法則」に満ちている」

トレードでは、行動経済学の理論である「プロスペクト理論」(トレードという不確実性下における意思決定モデル)が、語られることは多いですが、あらゆるギャンブル、博打、賭博のような、未来の結果が不確実性に伴う賭け事であっても胴元は確実に儲かる「大数の法則」でほとんど説明できます。

「大数の法則」とは、ランダムな出来事も事重なると、結果の割合は「期待値」に近づいていくことで、つまり、ランダムな事象を十分な回数繰り返すと、やがて幸運も不幸も帳消しになりほぼ適正な期待値、要するに真の確率に近い平均値が得られるというものです。

しかし、これは、そのゲームのルールがどちらかに有利な偏りが無い、例えば、全く歪みの無い精密なコインを投げた裏表を当てるゲームには当てはまり、裏を返せば、そのルールが有利、あるいは優性を持つ方法論を持てば、長期的には必ず勝てるという、結論は、プロスペクト理論と同様、その方法論に優位性があるかどうかが長期的な勝ち負けを左右するというものです。

その方法論が、「ラッキーな手札」、「幸運な偶然」、「ラッキーナンバー」という一瞬の幻想、思い込みは、長く参加し続けるをことによって、その結果は、大数の法則により、最終的には参加者は負け、胴元が利益を出すという結果に至ります。


「絶対に起きそうにないことは無視する。」

「ランダム性に関わる決定を下すときに、起きる確率の低い出来事は、おおむね無視したほうがいい。」
おそらく、合理主義者と揶揄すべきか、確率論者、数学者が宝くじを買わないのはこれに尽きるでしょう。

「『ウォーゲーム』で核戦争についてコンピューターが言っていたとおり、勝つための唯一の方法は、やらないことなのだ。」

それと矛盾するのは、確率が低いことを無視すればいいなら、車の運転にシートベルトをすることはないのでは無いか?
という問いに彼らが言うのは、「絶対に起きそうにないことは無視すべきだが、私たちが突きつけられる選択肢は、十分起こりえるランダムな要素をはらんでいることが多い。」というエクスキューズだ。
しかし自分は、この説には懐疑的である。合理主義は糞だと思っているからでもある。


「ランダム性質が救いの手」

ランダム性を利用して、パターンが出来るのを避けて相手の予測を不可能にする。
ゲーム理論でも、不作為性の中に、少しの作為を混ぜることで、相手に見破られにくくなるというような説があります。
例えば、100%嘘ではさすがに騙せないが、ほんの少しの真実を混ぜてやるわけです。

やしきたかじんの妻が、自分でせっせと書いた捏造メモの中に、本人のものも少し混ぜる。
嘘を塗り固めているような人間が 、実は本当のことも言っていた。・・・

「真実とは、案外、硝子張りの大衆の面前に平然と転がっているようなものなのだ。」by自分

どんな敵にも打ち破られることの無いこの完璧な戦略は「ナッシュ均衡」という理論と関係があります。
「ナッシュ均衡」は、どんな相手も自分を有利にできないような均衡状態(本当の意味での「ランダム」)を意味します。

ちなみに、仕事でプログラマーに、仕様の説明時に「ランダム」で指示したところ、ここでいう「ランダム」とは、同じ結果が続きにくいという意味での「ランダム」なのか、それとも乱数を発生させればいいという意味でのランダムであり、結果の偏りは問わないということなのかをとわよれた事があります。確かに、プログラム上では、ランダムを発生させる関数によってはは、0~9のランダム発生と言っても、0と9近辺に偏りがあったりする場合がある。

以上、ランダムと確率論についての数学的な考察と相反するかどうかは分かりませんが、
日本人は「予定調和」を好むと言われます。それが、「秩序」、「調和」につながるからでしょうか。

「予定調和」とは、哲学者ライプニッツが神の存在論的証明を前提にした形而上学説による考え方です。
「フィボナッチ」が、神の予定調和かは知る由も無し。

「ランダムウォーク理論」とは、いわば、値動きを予想することは できないからも予想はするなというよな理論だと思いますが、
あらゆるギャンブルが、カジノが、大数の法則では大半の参加者が負けると分かっていても、挑み続ける行為は、古代の天文学者にも通ずる神への挑戦なのである。

人間の行動、意識決定など、意識するしないに関わらず、あらゆるほう轢く、パターンのもとに成り立っている。
それを否定しようがしまいが、何も考えず無心で生きようが、
メディアの「サンプリングバイアス」(サンプル(標本)の抽出方法の問題により 、母集団を代表しない特定の性質がまぎれこみ、調査結果の誤差に影響を与えるもの)に騙されてはいけない。
だけには騙されてはいけない。

キリスト教は、「神が救う人間と救わない人間はその人間が生まれるずっと以前、神が天地創造した昔にすでに決まっていること。」という予定調和論らしいが、いくら日本人的感性で、全ての事象に美しき「予定調和」を望もうも、敵は神を冒涜するような美的感覚の欠如した連中である。

左翼界隈の文化人、タレント、弁護士、ミューシャンの言うことだけは信じるな。